児童養護施設って? 
 どんなところ?

児童養護施設とは「乳児を除いて、保護者のいない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせてその自立を支援することを目的とする施設」(児童福祉法第41条)です。

多くの児童養護施設の歴史は戦災孤児の救済から始まりました。
当時、「孤児院」と呼ばれていたものです。

しかし、現在では保護者が全くいないというケースはほとんどありません。

にもかかわらず、児童養護施設に対するニーズがあるのは、複雑多岐にわたる構造を持つ現代社会の歪みから生じる様々な家庭問題が存在するからです。

近年、社会問題化している虐待や離婚率の増加をはじめ、いろんな形の「家庭崩壊」があります。家庭内に子どもの養育能力が欠如している、または養育を放棄しているケースもあります。

以上のような理由から、関係行政機関によって児童養護施設によるケアが必要だと判断された場合に施設入所となります。

児童養護施設の役割

入所してくる児童は心に大きな傷をもった子どもたちです。

子ども達が、まずは安心して、ホッとできるような生活空間を提供することが第一の役割です。 できるだけ家庭に近い雰囲気のなかで、児童の社会的自立能力を育むことや、社会生活を送るうえでのアフター・ケアなどによる自立支援が強調されています。
 

子どもたちは、それぞれ幼稚園、小学校、中学校、高校に通っていますが、中学、または高校を卒業した後は自立の道を歩んでいかねばならない子どもがほとんどです。

児童福祉法改正の中でも、「自立支援の強化」が挙げられており、日常の子どもたちとの関わりも、それを念頭に置くことが大切だと考えています。

★ 夕陽ヶ丘では…

1.児童の発達段階に応じて、養護の組み立てを行い、多様化する児童、多目的養護の実践を可能にするべく積極的に取り組んでいます。

2.集団から個人に焦点を置き、「一人一人に主体性を尊重した生活」を基本として木目細やかに対応しています。

「飛騨慈光園」から「夕陽ヶ丘」へのあゆみ 

「飛騨慈光園」は昭和30年6月、高山市仏教会の発願により現在の天照寺内に開設されました。

 当時は、戦災孤児の救済、保護が主な目的だったのですが、時代の流れと共にその役割は刻々と変化してきました。 昭和58年には現在の山田町に新築、移転され、その歴史は40年以上にもなります。  

ところが「平成」の時代になってからは、養護施設の児童数は全国的に減少傾向となり、「慈光園」もその例外ではありませんでした。

しかし、これは決して養護問題が無くなった訳ではなく、施設側がその質の変化に対応しきれていなかったのです。

そのために、平成4年ごろには、「慈光園廃止」の話も持ち上がりました。 しかし、飛騨地区唯一の養護施設が無くなることは、この地域の児童問題を考える上で決してあってはならないことでした。

平成5年、飛騨慈光会は慈光園の再建にむけて大きな改革を行い、その維持のために懸命に努力をしてきました。  

この改革によって「慈光園」は新しい時代を迎えたのです。

しかし当時は児童数わずか十名での再スタートであり、本当に再建が出来るのかどうかは全く未知の状態でした。

子ども達が「ホッ」とできる居場所を目指して、また、養護施設に対する現代社会の様々な要求に応えることを念頭に置いて努力を重ねてきた結果、平成10年には児童数も徐々に増えてようやく新しい「慈光園」の将来が見えてきました。

時を同じくして、児童福祉の世界では法律の制定五十周年を迎え、現代に即した大きな改正が行われました。

この二つの出来事をきっかけとして、歴史ある「慈光園」の名前を改称し、もう一度新たな気持ちで児童福祉に取り組み、子ども達の幸せを目指して頑張ろうという気運が高まりました。

改称にあたっては、様々な案や意見がありましたが、最終的にこの場所の地名である「夕陽ヶ丘」となりました。  これまでの「○○園」や「○○寮」という呼称がないのも、私達の新たな気持ちの表れの一つです。



児童養護施設の紹介→全国児童養護施設協議会ホームページより

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